英東北部:ニューキャッスルに近いサンダーランド出身のポップ・バンド、フィールド・ミュージック。一時期フューチャーヘッズのメンバーでもあったピーターとデイヴィッドのブルウス兄弟が核になりこれまでにフル・アルバム2枚(「Field Music」「Tones Of Town」)をリリース、鍵盤を活かしたバロック味ギター・ポップで愛されたものの現在活動を休止中・・・というのは残念な話だが、それは音楽への情熱が枯渇した結果ではなく、むしろバンドが核分裂しながら「A Field Music Production」というクリエイティヴな大傘の下で自由に発展するためのプロセスだったようだ。今年始めにまずデイヴィッドの新ユニット=スクール・オブ・ランゲージが「Sea From Shore」でアルバム・デビューを果たし、ジム・オルークや初期ブライアン・イーノを彷彿させるチャーミングなアヴァン・ポップを聴かせてくれた。今のイギリスのロック/ポップのどの人気音楽的潮流とも沿わない憂き世離れしたセンスがなんとも麗しかった(まあ、だからこそフィールド・ミュージックもNME読者のアイドルにはなれなかったんだろうけども)あの作品に続き、ピーターが中心になって完成させたのがこのザ・ウィーク・ザット・ワズ。風変わりなバンド名は、デイヴィッド・フロストが司会役を務め60年代にイギリスで放映された政治/世相風刺の草分け的TV番組の題名からとられている・・・はず(たぶん)。
SoLがアレンジから演奏までほぼデイヴィッドひとりで制作されたいわばトッド・ラングレン型作品だったとすれば、こちらは管楽器やストリングスまで援用した9人の大所帯によるビッグ・プロジェクト。弟デイヴィッドはもちろんフィールド・ミュージックのメンバーだったアンドリュー・ムーアも参加しており、硬質なドラムスとダブル・トラッキングされたギターの心地よいクラッシュから生まれるよじれたダイナミクスがサウンド面での肝だったSoLに較べても、よりフィールド・ミュージックに近いポップネス=アクセシビリティを湛えている。だからといって直球なわけではないのが、このブッキッシュで(いい意味)オタクなチーム・フィールド・ミュージックのいいところ。ドラムス、ギター・カッティングとキーボード、ビブラフォンを多用したパーカッシヴなアレンジは規則正しいコンポジションを積み重ねていくものの、それを裏切るようにエグいベース・ラインがにょきにょき飛び出したりテンポがころころ変化したり、分厚いコーラスに眩惑されたりと芸の細かい音の仕掛けには驚かされる。焦ることなくじっくり展開(ラジオ・エディットなんて言葉はこのバンドに通用しなさそうですなー)していく間奏やインスト部にはジョン・ケイル(特に名作「Paris 1910」)やケヴィン・エアーズ、ブライアン・イーノらUKプログレ・ポップ勢の型にとらわれないランダムなセンスが横溢していてご機嫌だ。この作品をアルバム・オブ・ザ・マンスに迎え、「モダンな傑作!」と絶賛したオヤジ御用達雑誌(笑)MOJOのレコ評がピーター・ゲイブリエルやフィル・コリンズを例に出していたのも頷けるし、恐竜の遺物とバカにされがちなプログレにあまり縁のないやんちゃな若者にも、逆にこの(ラウドでディテール無視のパンク・ロックに凌駕される前の)アレンジは新鮮に響くんじゃないだろうか?そうあって欲しいし、ペンギン・カフェ・オーケストラのスムーズなポップネス、更にはスクリッティ・ポリッティやカラー・フィールド(セカンドの頃)、ブルー・ナイルら80年代に一時期人気を博した「ブリットポップにあらず」なUKポップのクリーンで理知的な音作り×ナイーヴなメロディという図式を引用するセンスは他にないと思う。
展開の先が読めすぎな予定調和ソング~とりあえずサビを合唱できればそれでOK!な安全牌チューン(聴いていると、「あー、分かった分かった!」とドヤしたくなる)が人気を博す中、メロディックなフィールドにとどまりながらはっとさせられる遊び心を大胆に埋め込んでいくTWTWは、ラジオ・ジングルや一口サイズに分割された「要約」ではなく、音のハーモニーを慈しみ曲そのものを聴かせるアート・ロックな姿勢を強く打ち出している。感情を排しサウンドに溶け込んだメカニカルな歌声もその印象を強めているし、⑤「The Airport Line」(本作でいちばんぐっとくる曲。イントロのドラムは幽かにトーキング・ヘッズの「Road To Nowhere」を思わせる)を始め、聴くほどに様々な層が浮かび上がる迷宮的な出来映えは、この作品にモダンな編集~リミックス・センスとクラシックな佇まいの双方を与えているし、ストリングスなどクラシカルな楽器を多用しつつ、近年のモダン・ミュージックの安易なクリシェ=エピックな盛り上がりや映画サントラ的なドラマ現出装置に貶めることなく、あくまでパートのひとつとして機能的に活用しているのも偉い。正味8曲と短いにも関らず、深い満足感を受け取るのも、思いつきのリフだのナイスなフレーズではなく、熟慮の果てに生まれた濃厚な楽曲が並んでいるからだろう。
イギリス庶民の生活観だの日常のあれこれを、まるでブログに書き綴るようにキッズのスラングや(ローカルな人間にしか分からない)方言を駆使しテンポよくドキュメンタリー調に歌い上げるのもUKロックなのだろう。世の中には、文句をつけたいトピックや怒りをぶつけたい対象はいくらでもあるからね。しかし、真の意味で「怒りをこめて振り返れ」な若者がロックに自己表現の場を見出そうとする時代が過ぎ去った現在(過去に較べ、今のイギリスの労働者階級はこぞって中流を目指している気がする。数年前にCHAVという蔑視的表現が生まれたのも、バッタもののヴィトンだのYSLだので着飾ってるエセ中流をこきおろそとするミドル・クラスの企みだったのかもしれない)、そうした表現が胡散臭く感じられるのも事実だったりする。
別に何もかも真性じゃないとダメとは言わない。そもそもパンクやポスト・パンクの著名アクトの多くがアート・スクール出身の中流ボヘミアンだったことは誰もが知っている話だし、ぶっちゃけ、よほどの天才/モダン・カルチャーから隔離されて育てられた人間でもない限り、これだけ前史が豊かになってしまったロック・ヒストリーを完全に無視して音楽を作るのは難しいだろう。というか、不可能に近い。聴いてきた音楽の数=どれだけレコードやCDに費やせる道楽資産があるかががモノをいうってのは嫌な話だが、その境界線すらネットのおかげで崩壊した今、かつてのような「貧困にあえぎつつ、なけなしの金を週1枚のレコードにはたく」なんて図式は成り立たない(たぶん、アナログな筆者よりもそこらにいるSoulseekなダウンロード・キッズの方が遥かにリッチなプレイリストを誇っているだろう)。だったら、そろそろハイ・ブロウな趣味をためらうことなく前面に押し出してもいいはず。
たとえばラスト・シャドウ・パペッツが躊躇なくスコット・ウォーカーという「聖域」をベタベタ~~に引用できたのは、彼らがフラットに均された音楽の地平に立つ世代だからだと思う。音さえ気持ちよければ=効果的であれば、歴史的な位置づけやコンテクストだのなんだのは不要ということ。ににんがし、にさんがろく、という日本の学校教育に多いオートマティックな暗記法にちょっと似ている。対照的に、スコット・ウォーカーの熱烈な信奉者であり理解者である過去に縛られた世代、かつ学歴もちゃんとしているレディオヘッドはいい意味で考えすぎるためか、先駆者の偉業に遠慮してしまう。その品のいい遠慮=中産階級の特権意識/罪悪感をかき乱せるのがいまどきの成り上がりな若僧の権利だとしたら、逆にプログレッシヴで簡単には真似できないような緻密なサウンドを織り成していくのもアート・ロッカーズの権利じゃないだろうか。共感は得にくいかもしれない。でも、自らの抱える問題をリアルな歌に解消してもらう喜びだけではなく、音楽には「そこから先」の可能性や野心、夢を受け取る喜びもあるはず(そもそも音楽は目に見えなも手に取れもしないんだから、想像や夢想を無限に伸ばせる場所なのだ)。基本的にリアル・ライフから逸脱している批評家やライターだけの愛玩物としてではなく、この作品が多くの人に聴かれることを祈らずにいられない。
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