うっかり見過ごしてたよー!そんな「隠れ名盤」を折に触れ紹介していく「Sunken Treasure Vol.2」になる今回は(ライター氏の熱烈な希望により)カルト中のカルト・アクトにしてその強烈な個性はピーター・アイヴァースにも匹敵(?)~サーストン・ムーアも敬愛してやまないアメリカ人シンガー・ソングライター=ボブ・トリンブルのダブル再発が登場。嬉しいことに今年初めに日本盤化もされてますので(デジパック装丁が美麗!)興味を持った方は早めにチェックくださいまし。
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自分の思い出せる限りでは、Secretly Canadian(常に高いレベルのクオリティ・リリースを続けているUSインディ・レーベルのひとつ)が過去のアクトの旧作再発を手掛けたのはニッキ・サドゥンとザ・スウェル・マップスの作品以来じゃないか?と思う。それ以外は基本的に今のバンドの作品をリリースしてきたこの優良レーベルが、レーガン時代の「失われた」作品2枚を同時発売した・・・と言うだけでも、こちらの期待が掻き立てられるのに充分だった。
その予想は当たりだった。というか、このリイシューはここしばらくの僕の音楽発見の中でも最上級の麗しい小粒の宝石だと思っている。ちなみに、オリジナル盤は目玉が飛び出そうな値段でサイケ・コレクターの間でやり取りされているんだそうだ。ボブ・トリンブルの苦悩に震える魂とヘリウムを吸ったような特異な歌声が発していくのは、一部の60年代サイケデリック・ミュージックが持つ闇と、80年代ニュー・ウェイヴの冷戦パラノイアとが組み合わさったとでもいうべき奇妙なフュージョンだ。恐らく本人にそのふたつをミックスしようという意図はなかったのだろうが、どう考えてもどんよりと陰鬱な音楽になりそうなところを、ある種神秘的な美しさを湛えた歌いぶりと演奏が回避している。もちろんアラも多く隙もあるが、その隙の中にこそこの作品の魅力が隠されている。恐らく彼の頭の中ではジョン・レノン&ポール・マッカートニー、あるいはボブ・ディランといったグレイトな先達を目指していたつもりなのだろうが、結果的に生まれたのはまったくかけ離れた音楽だったりする。
1980年にリリースされた「Iron Curtain Innocence」は発売当時ほとんど誰にも見向きもされず、あっという間に珍品レコードの仲間入りを果たしたという。この作品の世界を要約するとしたら、エミット・ローズとウィリアム・ブレイクの間に生まれた子供を想像してもらうと近いだろうか?後期ディラン的フォーキィ・ロック・・・と言いたいところだが、たまにゴブリンのホラー映画サントラを思わせる不気味な雰囲気が顔を出すこともあってかなり妙だ。このアルバムの楽曲は、大概悲しげなトーンから始まりフィナーレは狂気に向かってビルド・アップしていく。まずは「Night At The Asylum」および「When The Raven Calls」を聴いてみてほしいが、どの曲もフェイズ効果をたっぷり使っているので楽曲の持つ混乱したムードはますます深まっていき、その間を縫って今にも壊れそうな弱々しいボブのファルセットが響いていく。その様は、たとえば死んだように空虚な目をした天使が駐車した車のフロントガラスの上をふわふわ漂っていく、そんななんともシュールなイメージを僕の頭に浮かび上がらせていく。アルバムB面はもう少しポジティヴな雰囲気で始まるものの、A面を聴くことで心の中に広がり始めたブラック・ホールから完全に逃れることは到底無理な話で、結局聴き手は破滅に満ちたパラレル・ユニバースに取り残されることになる。はっきりいって傑作。
「Harvest of Dreams」(82年)は、前作ほど即効に暗い作品ではない。よりシンガー・ソングライター的なアプローチがとられたアルバムだし、それがボブ本人の狙いでもあったのだろうが、それでもやはり奇妙な個性を放つ作品なことに変わりはない。この作品は子供とイノセンスをテーマにしたコンセプト・アルバムだったようで、たとえばホイットニー・ヒューストンが「Greatest Love of All」で歌った♪未来は子供達の手にある~のフレーズにも通じる一種ユートピア的でトチくるった感覚に通じるものすら一瞬感じるが、もちろんボブはホイットニー・ヒューストンではないので、この作品は徐々にディストピアの深みへ落ちていくことになる。この作品でボブは近所でぶらぶらしている子供達に声をかけレコーディングに参加してもらっているが、その結果子供達の親が(いい大人である)彼の行動をあやしみ、その意図を問いただすことになったという(もしもボブが今の時代に生きていたとしたら、「児童保護」の名目で彼はたちまち非難・批判の嵐にさらされることになるだろう)。ボブの意図が本当はどこにあったのかはともかく、彼と「Kids」(子供達はそう呼ばれるようになった)のコラボレーションは長くは続かなかった。親達のリアクションにより子供達との交流の道を絶たれたボブは、残るレコーディングをただひとり自演、エフェクターの数々、フィールド・レコーディング、古ぼけたシンセ等を駆使して作品を完成させることになった。素人によるアウトサイダー・ミュージックのように聞こえることもある作品だが、ボブの音楽的な知識の確かさは看過しようがない「Selling Me Short While Stringing Me Long」のように優れた曲を書き、同時にそこにありったけの苦さをこめることができるのは、自分の力を見極めコントロールできるソングライターだけだろう。
時間の枠組みに捕らわれることなく、また作り手自らが生きている時代や社会と一切関係のないところで作られた音楽というのは、時にタイムレスな輝きを持つことになる。ボブ・トリンブルは時代からこぼれ落ちた人間と言えるし、プロテスト・シンガーが過去の遺物になった時代に間違って生れ落ちてしまったプロテスト・シンガーだったのだろう。彗星のようにごくたまにしか出てこないアーティストだと思うし、ぜひそんな彼の音楽に「遭遇」してほしいと思う。
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