快哉、です。いつ見ても「本当にカッコイイわぁ~」とうっとりさせられるニック・ケイヴ、そしてその両脇をガッチリ固める気鋭のオッサン集団ザ・バッド・シーズによる4年ぶり14枚目のアルバム「Dig, Lazarus, Dig!!!」。今作は開口一番タイトル曲「ディグ・ユアセルフ、ラザラス!!!」のケイヴ先生からの警鐘で始まる。
もうこれは文句なしにニック・ケイヴ&ザ・バッド・シーズ(以下NC&BS)の代表作の一つだ。近年の作品はどれも甲乙付け難い、非常にレベルの高い作品ばかりだが、今作の「突き抜け感」は別格の味わい。この人はどこへ、どこまで行くんだろう?50歳になってもなお丸くなる訳でもなく、かと言って尖る訳でもなく、ひたすら先へと進化していけるなんて、ファンとしては嬉しいと同時に末恐ろしい限りだ。彼らの進化は嬉しいが、自分がどこまでついていけるのか?そんな不安を感じるのは取り越し苦労であって欲しい。まったく、こんな胸苦しい気持ちになるのも相手がニック・ケイヴだからだ。強烈にセクシーな、抱かれてみたい50男の筆頭株主・・・そんな肩書きを添えたら、かつて某ロック誌インタビューで暗黒王子呼ばわりされブチ切れた彼は怒るだろうか?
だが、その長く美しい体躯と、歳を追う毎に凄味を増す容姿を持つケイヴは、前髪前線が頭の天辺になろうとも、極太ヘの字髭を蓄えようとも、ロックをやる男の理想像として作品毎にシンパを増やしている。その数が急増したのは、昨年のNC&BS面子によるサイド・プロジェクト、グラインダーマンでの活動がきっかけだった。音倫怒髪天のマスカキ猿ジャケットとグラインドという言葉が想像をさせる隠微なバンド名で彼らが作り出した音は、冒頭のギターの一音とニックの爆声だけで5ツ星に値する傑作アルバム。余りのカッコ良さに鼻血が出るとはあれのこと。鬼気迫る隙のないパフォーマンスに、ここのところ中身がなくあるのは隙だけの新人バンドばかりを見せられていたリスナーは、プロはこうあるべきとグラインダーマンの出現に諸手をあげて大喜びした。
ピアノをギターに替えて再び音楽の現場に戻って来たニック・ケイヴは、グラインダーマンで成功を収めると同時に、NC&BSしての結成25年を記念する本作の制作に入り、この素晴らしいアルバムを間髪入れないで届けてくれた。そんな諸先生方の熱意を受け止められないでいるのが、日本の洋楽市場だ。このアルバムでNC&BSの過去最高アルバム初登場チャート・イン順位を達成したイギリスあるいはヨーロッパでのNCの受け入れられ方・評価に比べるとお粗末としか言えない。やはり成熟した音楽(と女)はこの国には受け入れて貰えないのか?と、諦めと溜息が我が身を襲う。
が、それも仕方ないことと思う。理由は宗教やセックスを主題にしたニック・ケイヴの歌詞、彼の詩がこのバンドの最大の魅力の一つだからだ。キリスト教が余り身近ではない日本人の私達にとって、彼が頻繁、と言うかほぼライフワークと言えるほど必ず引き合いに出す宗教的な比喩や冒涜は誰にでもピンと来る話ではない。筆者がニック・ケイヴを好きになったのも、それなりに英語ができるようになってからだ。同じ素地を共有しない分、彼のユーモアを苦笑できるようになるまでに2呼吸も3呼吸も必要になる。だが、彼の描く世界は、辞書や歌詞カード(本作の初回盤ではブックレット。これはお薦め)を開きつつ、理解・追求する価値があると思う。
例えば、タイトル曲。ラザラスとは聖書に登場するラズロのことで、イエスによって死の淵より生き返らされた人物である。西暦来、最初のゾンビとしてキリスト教圏で知られており、敬虔な英国国教信者の両親に連れられ通った教会でこの話を聞いたケイヴ少年は、「頼んでもいないのに起こされるなんてたまったもんじゃないな」と深く同情するに至ったらしい。その時の気持ちは、「墓から掘り起こしてくれなんて頼んでいないじゃないか!!!」(He never asked to be raised up form the tomb!!!)という一節で表現されている。この曲の中で、聖なる聖書の人物ラズロは「ラリー」と軽んじられ、なんとアメリカでセレブになり、最後は落ちぶれ刑務所や精神病院に送られ、寂しく人生を終える可哀そうな人間として描かれる。皮肉を込めてケイヴは歌う:「なんて惨めなんだ、ラリー。でも死んだ人間のことなんて、結局どうでもいいことなんだよ!」(O poor Larry!!! but what do we really know of the dead & who actually cares???!!!)。
軽快なボンゴのリズムとウォーレン・エリスの手による不思議なループ音、キレのいいギターの向こうに、辛辣なケイヴの視線を見つける度に、筆者は背筋がゾッとするような想いに捕らわれる。彼の描く物語はどれも映画のシーンのように克明で、深く現代社会の暗闇を射る。その軽妙な刃捌きに聴く者は思わず苦笑してしまう。だが、そのユーモアの裏にこの男の底知れない洞察を感じ取った次の瞬間、笑いは深い哀しみへと変わる。
チャールズ・ブコウスキーをクソ馬鹿となじる「We Call Upon The Author」、精力旺盛ぶりを歌う「Midnight Man」、今夜は最高!と華々しく歌う「Today‘s Lesson」、どれも彼らの「オッサン」ポップに彩られており、NC&BC初心者でもすんなり入っていけるくらいのキャッチーさがある。だが、その対岸でケイヴの声が野獣のように吠え散らし、低く呻いている。辛辣で暗い彼の歌詞と明るいポップなサウンドの対峙は、色濃いコントラストを放ち、聴いていてゾクゾクする。
ケイヴがこれ程自由に独自の世界観を創造できるのも、世界最高峰のバック・バンド、ザ・バッド・シーズがあってのことだ。グラインダーマンでも脇を固めたウォーレン・エリス、ジム・スクラヴノス、マーティン・ケイシー、そしてバースデー・パーティ時代からの盟友ミック・ハーヴィを中心に総勢7名の分厚い演奏は、ケイヴのヴォーカルを含め、これまでのアルバム同様ほぼライヴ録音だと言う。BSに関し、ケイヴはライヴの持つ緊迫感を重要視し、オーバーダブは極力避けている。大正解。
NC&BSの音は、2003年の「Nocturama」以降、作品毎によりロックな感触を強めてきている。それは、結成以来、音楽面で主翼を担っていたブリクサ・バーゲルドがバンドを離れた必然の結果だ。彼は根城であるアインシュトゥルツェンデ・ノイバウテンで知られるように前衛が主体であり、一方の現在NC&BSの音楽的要であるウォーレン・エリスは、ダーティ・スリー出身の経歴が物語るようにロックの人だ。その違いが音作りに影響するのは当然だろう。それ以上に影響を及ぼしていると思われるのは、彼が無類の音の変人であるという点だ。ウォーレンの作り出す奇妙なループは、ニック・ケイヴの声同様に、このバンドに不可欠な存在となっている。今作でニックはピアノをオルガンに、ウォーレンはヴァイオリンをより低音なヴィオラに持ち替え、クラシカルな荘厳さからポップな重厚さへと音の質感を一新させている。これも「突き抜け感」に一役買っている。
「Nocturama」の次、2004年にリリースされた2枚組のアルバム「Abattoir Blues/Lyre of Orpheus」では、前作の陰鬱さから開放されたかのようにバンド全員が楽器を掻き鳴らし、豊潤なサウンドスケープを創り上げた。ゴスペルあり、ブルースあり、カントリーあり、ポップあり、ロックあり・・・それでいて散逸したところは微塵もない骨太なプロダクションとニック・ケイヴのソングライティングが冴え渡る、これも傑作だったが、評価ほどセールスは芳しくなく、その後の数年間NC&BSはサイド・プロジェクト主体で動く。サウンドトラック、小説執筆、そしてグラインダーマン・・・どれもが充実した経験であり、その中で培った全てがこのアルバムに集約された。それほど本作は熱く、濃い。過去のNC&BSが良くなかったなどと言うつもりは毛頭ない。NC&BSはどの時点でも彼らだけにしか作れない最高の音楽を作って来た。それが今回も繰り返されているだけのことなのだが、彼らのいなかった4年の歳月にその穴を埋めるバンドは他に存在しなかった故に、今作の素晴らしさが際立ってしまう。
新しい時代は常に若者が築き、発展させる。だが、何もないところから創造できるほど利口な人間は殆どいない。ロックは若者の物、それは分かる。だが、若さと勢いだけの音楽を切り売りしても、本当の意味での進歩にはならないだろう。一筋縄ではいかない、かなり厄介そうなオッサン集団、NC&BS。彼らの作ってきた道はどんどん先へと続いており、その進歩性と牽引力は老いも若きをも感動させる。ハイプやルックスなんかではなく、音楽とその充実度だけを真正面から捕らえたい。1リスナーをそう思い直させる、豪腕な快作だ。
ニック・ケイヴ&ザ・バッド・シーズ「Dig!!! Lazarus~」を脱兎チェック!
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